結婚て、結局なんのためにするの?

先日、オリラジの中田さんのこの記事に対し、おそらく女性側から「身勝手だ」だのなんだのとコメントがついていたことに疑問を抱いた。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181022-63684084-nkdualz-life&p=4

 

読んで見ると、まあ主語が夫である中田さんなので、自分はこれだけ良い夫として励んできた。というように捉えられるかもしれない。

要約すると、中田さんがしてきた夫として、父親としてのあれこれは、妻である福田さんからしてみれば、ピンポイントではなかったと。

 

自分が家庭の中でイエスマンになっていたがために、妻が付け上がってしまったようなことが書かれているてので、主婦からの反感を買ってしまったと思われる。

 

けれどこれに対して、中田さんは福田さんの勧めでカウンセリングを受け、家事をアウトソーシングする提案を出している。

突然、方針を変える!と宣言され、福田さんも戸惑うとは思うが、重要なのは妥協案をきちんと提示している。ということだ。

互いの「してほしいであろうこと」と「やってほしいこと」が食い違っていたことが問題になっていると、この記事を読む限りでは、私はそう感じた。

 

ならば、カウンセラーの意見に基づき、妻の要求を全て叶えようとはせずに、自分でなくても為せることは、外注しようと提案。これはとても合理的な案だと思う。

 

しかし、中田さんが書かなかったのか、福田さんが言わなかったのかはわからないが、妻側が今後どうしてほしいのか、どうしたらいいのかの、解決策に繋がる意見が書かれていない。

福田さんは結局、中田さんに対し、お風呂の際はああしてほしいなどの細かい指示は出している。それが中田さんが良かれと思ってしていたことと違っていた為、ストレスの要因にもなっていた。

要はこれ、価値観の違いなんじゃないかと。

価値観はそれぞれに違っているのは当たり前だが、手順をどう合理的にするか、それぞれの中にあった最適な順番が違っていた。

それだけの話と言えばそうなのだが、目の前で自分が最も合理的と思える順番で事を運ばない人間を目にすることは、けっこうなストレスだと思う。

 

ではそれをどう解決するか。

話し合えばいいのである。

ただ話し合うにしても、自分の主張を一方的に伝えるだけではなく、主張と妥協案を一緒に提示することが、話し合いのルールだと私は思っている。

一方的に意見を言うのは戦争だ。より強い言葉で相手を言い負かせば決着はつく。だかそれでは何も解決しない。

 

最近こういった、妻の夫へ対する要求の噛み合わなさがTwitterで目に付く。

それを見て思うのが、結婚って、非合理的なんじゃね?

ここまで夫婦について偉そうに語っておいて、私は一度結婚し離婚した身だ。

でもだからこそ、結婚の合理性についてよくわからなくなる。

目の前の、一番頼りたい人間が頼りにならなかった時の憤りや虚しさは、私にもかなり覚えがある。

たしかにどうしようもないクズな旦那もいて、火あぶりの刑にしてよし!と思うこともある。

そういった夫婦間のすれ違いや不満を抱えながら、敢えて籍を入れ、一緒に暮らす意味はなんなのか。

子供がほしい。それを聞くと「いや、子供をダシにすんなや」と思ってしまう。

共に手を取り同じ屋根の下で、おはようから始まりおやすみで終わる生活がしたい。…というのはちょっとファンタジーかもしれないが、その上で、この人との子供がほしい。そう思って家族というものは出来上がっていくのではないだろうか。

 

なんかもう長く書いてたら結局何がいいたいか、わからなくなってきたが、なんか最近のTwitterでの嫁のお怒りツイートを見ると、うちの旦那こんなにクズなんや!共感して吉牛して〜って言ってるように見えなくもない。

さっきも書いたが、ほんっとうにクズだなと思う旦那もいる。こりゃ奥さん不憫だわって思うこともある。

 

でも一連の流れを見てると、0か100の極論が目立つ。

いやもうめんどくせぇ、結婚なんてやめちまえよ!と言いたくなるのである。

夫婦の愚痴を吐き出したい。ガス抜きしなければやっていられないこともあるだろう。

けどなんか、なんか、旦那を槍玉にあげてフェミニスト気取りしてない?って思えてしまうのは、なぜなんですかね?