腐女子のみんな〜交流してる〜?
これは昨年ラジオトークで「交流なんてそこまで必要ない」というタイトルで投稿したら、過去最高のリアクションを得たことから、もしかして腐女子同士の交流に疑問を抱いている人は少なくないのでは?と思ったことについて書く。
そもそも私が交流なんてそこまで必要ない。と思ったのは、同人アカウントを消してピクシブとHPのみで活動していたが、いざ即売会にでると本が売れた。という事実だ。
前置きはさておき、本題は
同ジャンルや同カプが好きだからと言って、その人たちとの価値観まで同じなわけねーだろ
という話だ。
まず交流のメインになるのはTwitterだ。
Twitterは、思いついたことを手軽に書き込めるので、私は脳内アウトプットツールだと思っている。
だからその人が脊髄反射で感じたことや、人間性などがわりと如実に現れるツールであると感じている。
ツイートだけではなく、その人がRTしたツイートによっても、何に興味を抱き、どういう行いを嫌悪し、どういった考えに賛同しているのかもわかる。
人間性を測る上でこの上ない便利なツールと言えよう。
もちろんTwitter上でわかる人間性がその人のすべてではない。
実際に会って話してみた感じが、ツイートの文面から受け取れる印象とは違うこともある。
私は先日、数年Twitterで交流のあるフォロワーとオフ会をした。
そのフォロワー同士は相互でも知り合いでもない。共通点は私と相互フォロー関係にある。だけの、私によって集められた人達は皆、初対面である。
だが、やはり数年私とTwitter上で繋がっているだけのことはあって、私という人間性や価値観を否定しない、嫌悪しない、または共感できる人間。すなわちリテラシーの線引きがだいたい同じ人。が集まったのだから、話が合わないはずがない。
人間、嫌いなものが同じ人同士の方が関係が長続きする。という説があるが、これは嫌いな行動が同じ相手は、当然ながら嫌いな行動をしないわけで、だから嫌悪感を抱くことがない。
ここでめちゃくちゃ極端な例を出す。
箸の持ち方が正しくない人が苦手。な人たちは、正しい箸の持ち方をしているわけで、互いに食事を共にしても正しくない箸の持ち方をするわけがないのだ。
要は、好きなものを共有するよりも、嫌いなものを共有している方が人間関係はうまくいく。
さっきのたとえを逆転させてみよう。
箸の持ち方が気にならない人同士は、相手がどんな箸の持ち方をしていようが気にならない。だがそこに箸の持ち方が正しくない人を嫌う人がいたとしよう。たちまちそのグループの関係性はこじれる。
「なんでこの人たち、箸の持ち方がめちゃくちゃでも気にならないの?え、無理だわ」
となる。
そしておそらくこの箸の持ち方に嫌悪感を抱いた人は、同じ箸の持ち方が正しくない人間は嫌という人にその話を愚痴るだろう。
そうやって苦手なもの、嫌いなものを共通の敵と認識した人々の間には結束力が生まれる。
今、例のウイルスに対してや、それに伴う政府の方針を敵と認識した人たちの結束力は強い。そういったツイートには、多くの共感を数値化したいいねがついている。
腐女子とはだいぶ話がそれたが、同ジャンルや同カプが好きな人同士。それはそれで話が合うだろう。
だがほとんどの腐女子には、ジャンル移動の時期が訪れる。どんなにハマっているジャンルだろうと、季節の変わり目のようにアニメの新クールが始まった途端に、堰を切ったように新ジャンルの絵ばかりを投稿しだす。
そうやってジャンル移動をしても交流が続く場合は何か。
同じ価値観という繋がりがあるかどうかだと思う。
つまりジャンル内での交流は、たまたま移住した集落内においてのみ通用するのだ。
その集落を出て行った場合、遠距離になっても連絡を取り合える、または連絡を取り合いたいと思える人はどれくらいいるのだろうか。
そして狭い集落の中で孤立しまいと、必死に交流しようとする努力を私は否定しないが、それは集落の価値観に身を染める。つまり自分の意見よりも集落全体においての過半数を占める意見に賛同する。という、共産主義や宗教に近いものを感じる。
集落の村長、そのジャンル内でのいわゆる大手作家。が言ったこに対し、その考えに賛同できないような態度をとると、たちまちその集落から孤立してしまう、恐ろしい仕組みになっていることも理解してほしい。
映画『ミッドサマー』がいい例だと思うが、私はあらすじだけ聞いてミッドサマーを見てない。じゃあ例に出すなよって話だが、今これを書いてて、先日のオフ会で聞いたあらすじとよく似ているなと思ったのだ。
別に腐女子たちよ、無理して交流するな。
と言っているわけではない。
ただ、交流に苦痛を感じている腐女子がいるのなら、それはあなたのせいでもなんでもなく、ただそのジャンルにいる人たちとは気が合わなかった。だけなのだ。
「絵や文章は好きだけど、この人の性格がちょっと・・・」
という場合は、潔くミュートすればいい。
イラストや文章は、ピクシブで閲覧すればいいし、Twitterのメディア欄だけ見るようにすればいい。
仲良くできないことは罪ではない。
仲良くしなければジャンル内で活動できないわけではない。
なぜ同人活動をしているのか。その根本が、作品を創りたい、見たい、読みたい。の人たちは、交流に重きを置く必要などないのだ。
同ジャンルの人たちと語り合いたいのがメインの人は別だし、そもそもそんな人はこのブログにたどり着いていないだろう。