何者でもない自分が許せない話

何者でもない人間の方が、世の中圧倒的に多い。
なのに私は常に「何者か」になりたかった。

発達障害ゆえに、ふつうの人があたりまえにこなすことすらできない自分にも、居場所が欲しかった。差別されることのない安心できる居場所が欲しかった。
差別されない、能力がふつうより劣っていても異物として疎外感に苛まれない場所で、役割がほしかった。認められたかった。「何か」を必要として欲しかった。

けど私には何もなかった。
結局、何も持たない私はいつまで経っても社会の中で異物だった。
集団が大きければ大きいほど、異物は目立つ。
異物なりに周りに迷惑をかけぬよう、必死に健常者のふりをしてきた。それでも「ふり」なので、健常者のようにはいかない。健常者に擬態した変わり者にほかならない。

選ばれたかった。他にはない「何か」を認められ、異物が異端として評価されたかった。

だが結局いろんな自分にもできることに手を出したが、どれも中途半端で、人並み程度かそれより少しできる程度だった。

才能もセンスも、「ふつう」に劣る私にはそれすらもなかった。
誰にもできるけど、誰もやりたがらないこと仕事を最低賃金でこなし、それでもクリエイティブな面で「何者か」になりたいと試行錯誤し挑んできたが、そこそこ人よりできる程度の作品を生み出すことしかできず、認めてもらうことはほとんどなかった。

生きていてもいいスキルがほしかった。
「あたりまえ」も「異彩」も私は持ち合わせていなかった。
無価値だ。
価値を見いだせない。
私が話す言葉も考えも、無価値な者から生み出されるものは、誰の共感も得られず意味を持たず流れていく。

必要とされる価値のない自分。
社会から弾かれた自分。
認められることで得られるはずの居場所も所属も何も無く、ただ価値のない駄作を生み出し、誰にも認めてもらえない。

こんな無生産な人間を、迎え入れる居場所なんてない。
どこにいても異物だと感じて、この世に生きることを恥ずかしくも思う。
存在のない人間は生きる場所すらない。