元事務次官のお父さんと発達障害を患った息子

熊澤被告への判決が決定し、人々はまたこの事件について意見する機会を得た。

あらゆる人達が、熊澤被告に対する批難、刑への賛否、息子の生い立ち、発達障害であったことを、それぞれの視点で意見しているのをTwitterで目にした。

熊澤被告擁護派と、同じ発達障害を患う人達の判決への不満。批判。

どうしてどちらかを断罪しなければいけないのだろう。
どうしてどちらかが悪いと白黒つけたがるのだろう。

私はどちらの気持ちもなんとなくだがわかる。
それはネットやニュースから得た、断片的で表面的な二人の関係からでしかない。
だがそれでも、これはお互いに不幸であり、私の頭ではどちらも救われる方法を見いだせない。

それが、どちらかを悪として決めようと必死にそれぞれの過去を晒す人達。
きっと、どちらにも罪はなかっただろう。
殺してしまったことは、法的には罪である。
しかし、暴言を吐き、近隣小学校の運動会がうるさいだけで「殺す」などと騒ぎ立てる人間と、同じ屋根の下で暮らす恐怖も、自らの意思とは無関係に障害に苦しみ行き場を無くした息子。
想像し難い辛さは、どちらにもあったのではないか。

私はこの親子、どちらの立場にも属している。程度は違えど、発達障害の子供を持つ親、そして自らも発達障害を患っている。
だからどちらの気持ちも否定し難いのだ。

報道はあまり見ないようにしているが、それでもTwitterにはどちらかを批難する意見が流れてくる。
目にする度に悲しくなる。
あなた達が責めないでほしい。
あなた達が彼らのような人間を救えるのか。
手を差し伸べて、もし同じような立場の親子が近くにいたら自ら行動し、救いに繋げることができるのか。

できないだろう。
してはくれないだろう。

殺人に至る前に、警察なりに相談すればよかったのに。
いい歳して自分で治療を受けるなりすればよかったのに。

じゃあ実際に、あなた方が当事者なら、それができるの?
助けを求めることができないくらいに、心身的に疲弊した状態で、その判断が、選択が、できるの?
助けを求めた先で、無碍にされたら?
どん底の苦しみを何十年続けてきた中で、その気力と正解を導きだせる思考を持ってると断言できるの?

何が言いたいかって
「何もできねぇ外野は黙ってろ!」

どうせおまえらが助けてくれないことなんて、こっちはもう痛いほどわかってんだよ。
Twitterにあれこれ書き込むことなんて、なんの労力もなしにできるだろうよ。でも実際に動くことなんてしないだろ?
おまえらは無関係な地獄を見て、それらしいことを書き込むことで自分が優位に立ってると思いたいんだろ?
小さくて閉鎖された家庭という地獄で、八方塞がりの状態にあった彼らは、おまえらにはファンタジーなんだろうよ。
発達障害の子供を育てたことあるのか?
発達障害の苦しみを知ってるのか?
無限地獄の中で苦しみ続けた彼らを、どちらが悪いかなんて判断できるやつはいない。

たまたま父親が殺人を犯したことで法が判決を下しただけだ。

模範解答のない子育て、親子関係、完全な治療方法もない発達障害。それらを素人が断罪するな。

誰かに矢を向けなければ気が済まないんだろうけど。そのために標的に勝手なレッテルを個人の判断で貼り付けてんじゃねぇよ。
と、思いました。