自殺に興味がなくなったはなし
「死にたい」はもちろん、「最悪死ねばいい」などと、生きることに私は厭世的だった。
そもそも自分の命に執着がないのだ。
人間はいつか死ぬ。生まれた瞬間に「死」が確定しているのに、人はなぜ「死」を恐れているのかが不思議でならなかった。
最近ではコロナウイルスだ。
いつか「死」がおとずれることは覆しようのない自然現象なのに、それが鼻先にも掠らないうちから何をそんなに恐れ大騒ぎしているのか。とても不思議でならなかった。
そしてなりより、ぼんやりと今のままではこの国で生き永らえていくのはとても難しいと感じるようになった。
老後に2000万円必要だとか。福祉や就労問題だだったり。政治には関心がないけど、なんとなくこの先の人生には下り坂と地獄しかない。むしろ今も割と地獄だ。地獄の中をいつやってきてくれるかわからない命の終末まで下り続けなければいけないと思うと、人生を早めに切り上げたいと思うようになった。
なにより私は日常生活すらめんどくさい。
生きることは生活すること。そのために、やらなければならないことが多すぎる。
食事を摂り、その食器を洗い、風呂に入るために掃除し、それらを仕事をしながら毎日続けていかなければならない。
もしかして、生きるって、すごくコスパが悪いのでは?
そう思うと、とにかく人生を早く上がりたい。この人生ゲームのゴールマスに早く辿りつきたい。そのための手段に自殺があった。
インターネットで自殺の方法も調べた。
アマゾンで練炭やモクレナロープも欲しいものリストに入れた。
死にたいというより、人生をやめたかった。
そう思い続けてそろそろ実行に移そうか、などと考えていた時。
立て続けに自殺が未遂に終わった人のブログが、2件、目にとまった。
そこでもしかしたら自殺って、そんなに成功率が高くないのでは?と思い、自殺未遂者がどれくらいいるのかを調べた。
1年間で約53万人。(2016年)
https://business.nikkei.com/atcl/opinion/15/200475/092300070/
およそ53万人の人達が自殺に失敗しているのだ。53万人の死にたい人々は、死ねなかったのだ。
そして、厚生労働省の調べによると、同じ2016年の自殺者数は約21000人。
国の機関に把握されているだけでこの人数なので、実際はもう少し多いかもしれない。
単純に、未遂に終わった人達と実際に自殺で亡くなった人達を足して「自殺を試みた人達」とすると、55万1千人。
その中で希望どおり自殺に成功した人の割合は3.9%だ。
1割にも満たない。
55万人もの死にたい人達の中で、実際に死ねた人は約4%しかいないのだ。
25回に1回の割合になるのか。数学どころか算数もあやふやなのでよくわからないが、それだけ自殺はハードルが高い。
実際に亡くなった方達がどんな方法で自殺を試みたのかまではわからないが、私が読んだ自殺未遂者のブログは、首吊りとODだった。
首を吊っても死なないのか、人間。
周りで自殺で亡くなった人間を数人知っているが、亡くなると噂などで耳にすることはあるが、未遂に終わった人の話はなかなか耳には入らない。
死ねば葬儀の知らせで知ることはできるが、未遂となると入院の知らせは入ってこない。
だから意外と未遂は知ることなく、ここまで多いと感じずにいたのだろう。
この比率を知ってから私は、生きるも地獄、死ぬもハードだと悟ったのだ。
なんかもうだめになったら死ねばいい。
そんな軽い気持ちだったことを思い知らされた。
そういえば私も10年くらい前に、自殺未遂してたし、首を括るまでに至ってもコード(当時はヘアアイロンのコードで首を吊ろうとしていた)が首に食い込むと恐怖と苦しさで踏み台から足を宙へ放り出すことができなかった。
なので最近は、この人生に降りかかるデバフ(ゲームにおける能力などを下げる効果のもの)をどうやって切り抜けるかや、バフ(ステータスを上げる効果)を使いこなすかという、高難易度のゲームを攻略するスタンスで生きている。
未だに厭世的なところは変わらないし、死生観においても「人間いつか死ぬからいつでも死んでいい」という、「死」に対する恐怖も「生」に対する執着もない。
ただ自殺願望はかなり薄れた。
生きることも面倒な人間は、自殺のリスクすら面倒だと感じるようだ。