ADHDのライフハックに疲れた

このままではまずいと、ネット上に書かれているものから、心療内科の待合室に置いてある、ライフハック本など、気が向いた時に読むようにしていた。

時々、なるほど!と膝を打つものもあった。

ただ、もう努力をすることに疲れた。

たしかにライフハックを活用することで、生活は過ごしやすいものになるだろう。

だがそれは、今までの生活基盤を少しだろうと意識的に変えることになる。

意識的に変えること。これこそがまずハードルが高く思えてしまう。

普段、無意識のうちに行っていることを、少し思い出して気をつけてみる。

物の定位置を決める。枕元に水の入ったペットボトルを起き、目が覚めたらまず口にする。使い勝手の良いメモ帳を利用する。付箋を貼る…。あらゆる生活を「普通」の域までに改善する策だが、実際やってみよう!となるまでに至らない。

もうこれはADHD云々以前に、ただの怠け癖なのか。

 

自転車の鍵をよく無くすという人に対して、鍵にヘアゴムをつけて、鍵をけかけたらまず手首につける。というライフハックには「おお!素晴らしいアイデアだ」とは思った。

だがまずそのヘアゴムを買いに行くことができるか。

コンビニにだって売ってるだろ。

そう、コンビニへ行こう!入店した瞬間、バッと視界に映る情報量の多さに、何を買いに来たのかを忘れる。

 

いやたしかにライフハック、役に立ったってこともあるし、こういう情報提供はありがたいし、取り組もうとすることも素晴らしいと思う。

しかし私はもう無理をするのをやめる た。という、ライフハックにシフトした。

今まで常人のステージで生きるために無理をしてきた、それもかなりの。無理やりゴムを限界まで引っ張って、伸ばして、ゴムが悲鳴をあげた時、手を離してしまった。

今の私は伸び切ったゴムだ。

もちろん日常生活にも支障が出ている。

ライフハックでもなんでもない。明らかに人として退化してしまった。

それでも、これ以上無理をし続けていたら、取り返しのつかないことになっていたかもしれない。

 

惰性に聞こえるかもしれないが、もうね、ありのままで生きたいのよ。

これまでかなり頑張ってきた方だと思うんだ。

今思い出すと、絶対無理だわって震え上がるような苦手なこともやってて、ほえ〜おまえすげーな、よくやれてたなって気持ちで振り返ってる。

よくやった方だよ。

だからもう許して。

生きていくことを許して。勘弁してください。もう無理です。

生き続けなければならないことを、赦してください。