うつ病とかの克服本に必ず出てくる支えてくれた人って、あれ何?
たいがいの精神疾患や発達障害の克服本、最後に必ず出てくるのが「支えてくれた誰か」って、結局そういう人を捕まえるための人柄やコミュ力を持ち合わせている人しか、克服できませんよと言われてる気がする。
結局最後には、人の支えが必要なんない!って何度本を床に投げたことか。
他人に適切に手を差し伸べることができる人は素晴らしいと思う。
そうやって自分の不得手をさらけ出し、ちょうどいい加減で助けを求められるわけだ。
できるか!!
そんな高度なコミュ力持ち合わせてねーわ!
まず自分が今何に困っているのかを伝える事からして、ハードなミッションなんだよこちとら。
漠然とした「しんどい」「不安」を、話しても大丈夫そうな相手かを見極めて、それを聞いてもらえるような言葉に変換して…って、そんなプロセスを踏めるほどのエネルギーがない状態なんだよこっちは。もう乾燥わかめだよ。水に戻す前の乾燥わかめ。干からびた海藻。
日頃、社会生活をこなすだけでもうヘトヘトなこの乾燥わかめに、他人が不快に思わない程度に助けを求めるスキルがあると思いますか?無いですよ。
「お弁当温めますか?」「あ、はい」が精一杯なんですよ。
それか、呪詛のような延々と続く得体の知れない不安を綴ったLINEを送り付けるかのどちらか。
いやもう、どこにいっても結局は人柄とコミュ力を要される。それはもう仕方がない。対人間の世界なんだから。
じゃあ、辛うじて人の形をしてなんとか生きている私のような人間が、孤独と向き合いながら精神疾患や発達障害を改善できる方法はないのか?
ないの?
まじで?
前例がない?
嘘でしょ?
あ、強いて言うなら、小林えりこさんの「この地獄を生きるのだ」が一番読んでて力を与えられたかもしれない。
小林さんは、文章が書けるというスキルで立ち直っていったような方だから。
何年か前から知ってる方だけど、最近はテレビでも見かけるようななって、どんどん綺麗になっていく。
もうあの本以外は信じない。
最後のどんでん返しかのように、配偶者や家族の支えが大きかったです、の一文が、ここまで読ませておいてそれ?と本当の意味で期待を裏切られるのにはもううんざりだ。
冒頭に書いてくれ。
「結局のところ、配偶者や家族の支えが一番でした」と。
だったら読まないから。