居住

家族や他人と暮らす家が自分の家とは思えない。

実家であれば、そこは親の家であり、夫婦で暮らしているのであれば、そこは旦那の家であるという認識が拭えない。

同棲やシェアハウスをしていれば、「私と同居人の家」となる。

つまり一人暮らし以外は自分の家とは認めることができないのだ。

 

家というのは私にとって唯一の安寧の場所であるべきと考えている。

他人に気を遣うことなく、人でいることを脱ぎ捨て、役割から解放される場であってほしいと。

そういう場所がなければ私は外に出て、人間として生きることができないだろう。

私が辛うじて人でいられるために、リセットする場が必要不可欠なのではと思っている。

 

家族がいれば役割を求められ、それを全うしなければと緊張感が走る。常に監視されている気分になる。

そうでなくても、私は自分以外の人間が発する生活音や声ですら耳障りだと感じ、強いストレスを与えられる。(集合住宅で上下左右の部屋から聞こえてくる物音は気にならないのだが)

 

そういうわけで、イヤホンをして音楽を聞いたりと自衛はするのだが、なぜ私が家賃を支払っているにも関わらずこのような苦労をして生活しなければいけないのか。とても理不尽に思える。

冷暖房器具の温度設定も、自分の裁量で自由にすることもままならない。

家でくらいは、私の自由を尊重したい。

 

なぜ他の人が家族と暮らすことを自ら選ぶのかが、本気でわからないのだ。

きっと、その人たちの方がよっぽど理にかなっていて人間らしいと思える。集団で生活するのは、元々人間が生活する上で必要なことで、それは遺伝子に記憶された本能だと言えよう。

 

自分は人ではない。

一体私はどこで進化し損ねたのか。

私の遺伝子はどの動物に起因し、なぜ今人として生まれてしまったのだろう。