人生も生活も破綻気味の同人女は。

これまで色々なインターネットのコンテンツを利用し、自身の身に起きたことを書き綴ってきた。

だがどの媒体であっても、1から100までをすべてさらけ出したことはなかった。

それはおそらく私に付随する、あらゆるアビリティにおいて不利になると思っていた。

たとえば同人活動をしている自分にも、実生活があるわけだが、それらわ詳らかにすることで作品にバイアスがかかる。作品は好きだが作家の作品以外のツイートに辟易し、作品自体が苦手になる。「作家が地雷」というやつだ。

こういった経験を踏まえた上で、なにかしらの活動に影響を及ぼすような「自分の正体」をなるべく曝さないというのは、創作物だけにフォーカスしてもらいたいからだ。私自身の生活は、幻滅させる要素を多分に含んでいる。

 

しかし、活動しているジャンルを伏せたなら、何をあけすけに書き殴ろうが私の創作物に影響が出ることはない。

 

永らくこのブログには、そのとき感じた思いの丈をなりふりかわまずぶちまけてきた。

直近のブログでは借金を返せずクレジットカードがお亡くなりなったこと。

バツイチで息子がいること。

発達障害があること。

 

ではなぜそこに「同人女」を紐づけたのか。

以前、同人アカウントを消した際の決定打にもなった、おなじ二次創作をする者との生活の格差について、未だにモヤモヤするところが拭えないからだ。

私もそうだが、Twitterでわざわざ惨めな生活を晒そうとはしない。できるだけキラキラした部分を切り取って豊かさをアピールする。

いや、そもそもアピールではなく、そのキラキラした生活は本人にとっては惨めなものが写りこまないよう一生懸命切り抜いたものではなく、あたりまえなのかもしれない。

ろ過にろ過を重ねて抽出した一部分ではなく、単なる生活の一瞬にすぎないのかもしれない。

そう思うと余計に自分のみすぼらしさに心が痛む。

 

しかし、某掲示板を覗くと、そんなキラキラ同人女に打ちのめされ、悲壮感の掃き溜めのようなスレッドが目に入った。

いるじゃねぇか。

人生が崩壊しつつある中でも、同人活動だけが自分に残されたアイデンティティであるかのような人達が。

学歴もない、薄給もしくは無職、毒親による呪縛、などなど。明日も見えない、見たくもない人生という路線を走る列車に揺られながらも、同人活動だけは手放せずにいる人間が、少なくともここにはいる。

 

それをここで声高に語ったところでなにも変わらない。

キラキラした人生のレールに乗ることができた同人女にはなれないし、その人達にはなんの影響もないだろう。

しかしそんな人間がいるという事実を、私は遺したい。

記録であり遺書だ。辛い人生を送っている同人女の声明ではない。

ただ、私のようなケースもゼロではない。

それをいつまで続くかわからないが書き続けていこうと、なんとなく思った。