同人活動、特権階級
先日書いた同人活動についてのブログ。
このことについてふと思いついたことがあった。
ジャンル内で人気のある作家同士が繋がる。これは自然な流れであり、特権なのではないだろうか。
私のハマっているジャンルは、再来週にオンリーを控え、Twitterのタイムラインには原稿の進捗や締切瀬戸際の阿鼻叫喚が流れるようになった。
あの方達は、プライベートな時間どころか睡眠時間を削り、本の作成に取り組んでいる。
同じ界隈の人間と繋がることができるのは、そういった並々ならぬ努力が生む、特権のようなものではないかと思ったのだ。
早い話が、その仲間入りをしたいのなら、同レベルにまで画力や文章力を上げ、同じステージに立つしかないのだ。
以前、二次創作界隈ヒエラルキーの話をしたが、上層部にいる人達はそれだけのスキルと努力をもつ限られた人達なのだ。
だからこそ、オフ会なりなんなりで繋がることが可能だし、それはある意味恩恵のようなものだと思う。
なんの努力もなしに、ただ階層の底辺て、そんなカースト制度に不満を垂れていただけだったのだ、私は。
そこまで冷静に考えることができたのも、自分の作品を作ることに、ほとんどの楽しみを見出すことにしたからだ。
とにかく作品を書き上げることが楽しい。だから私はこのジャンルに居座っている。
同胞と繋がりたい、という目的を主軸から外すこと。そもそもの目的にだけ注力を注ぐことで、自分がジャンル内で求めていたものが何かわかってきた。
作品を書く際も、前よりも注意深く力を入れるようになった。
評価を下さる方、試しに通販のみで領分した本も、少数部だが完売することができた。
ひたすらに原作が好きで、キャラクターか好きで、二次創作が楽しくて。
今はとりあえずそれでいいと思えた。
同ジャンルだから仲良くできる。これでは学校と同じだ。
同じ地区に住んでいるという理由だけで、友達ごっこを強いられる。ウマが合うかどうかなどおかまいなしに、強制的にグループを作れと言われ、宿泊までさせられて。そこに疑問を抱いたり、輪に入ることができない者を異端とする。
社会人になってまで、そんな息苦し思いなんてごめんだ。
大人になった今、気の合いそうな人はなんとなく察することのできる能力が身についた。逆に「この人無理だわ」というのも、割と早い段階で気がつく。
Twitterも非公開リストにほんとうに見たい人だけを突っ込んだ。少し気が楽になった気がする。
元々、腐発言や本誌ネタバレをするために作ったアカウントなのだ。繋がれないことを悲観して、作品までもを煩わしく思うのだけは避けたい。
楽しむためには、ある程度のライフハック的なものを利用することに抵抗があったが、それも含めて自分を心地よい環境に身を置きたい。