誰でもできること

昨日あんな前向きなことを書いておきながら、というか、前向きな思考があったから。反動で鬱々としたゾーンに入った。

自分の立ち位置がよくわからないのは、だいぶ前から感じていた。あらゆることに中途半端に手を出して、何も極めようともしないまま、全てにおいてほかの誰かかやろうと思えばできること止まりだ。

 

一体私は何者になりたいのか。

何者でもない者など一人としていない。今日読んだ漫画にはそう書いてあった。だが私は何者かになりたいのだ。

何者かになることを成しえて、突っ立っているだけで人が手を差し伸べてくれたり、声を掛けてくれる環境が欲しいのだ。

何者でもないということは、その他大勢であり、誰の目にも止まらぬまま孤独に耐えねばならないというイメージが払拭できない。

スクールカーストで根付いた「人気者」が得をする世界が私の中で、未だ足を引っ張っている。

もうそんな呪縛から解放されたい。

自分から声をかける勇気もコミュニケーション能力もないことを、自分が何者でもないからだと、才能のせいにしているのだ。

 

何者かになって、あの世界を一度でも味わってみたい。

幼少の頃に味わった疎外感によるコンプレックスは、相当にしつこい。

満たされることのない渇望。

躁状態でベラベラと書き殴ったことへの後悔。押し黙り、知性ある振りでもしておけばいいものを。

嫌われ者のテンプレートをやってのけてしまう。

 

どうしたら私は満たされるのか。

こうして書き出し、客観視することで、少しはマシになるのだろうか。

それとも、自分の醜い部分を改めて目にして落ち込むのか。

満たされるための器が欠けている。