私が生きていていい世界
漫画やアニメ、ゲーム、小説、映画。これらの文化、及びサブカルチャーは、私を現実から引き離してくれる。
仮想の世界に意識を集中することで、私は世界から弾かれた人間でもなんでもなく、ただのコンテンツを消費する人、になる。
低所得者だろうが、障害者だろうが、人から好かれない人間であろうが、コンテンツは私たちを「一消費者」として扱い、私たちはその世界に現実からトリップすることで居場所ができる。
何も考えずにその世界を楽しめるのはもちろん、そこから何かを感じとることもできる。
見て、読んでいるだけで、辛い現実から一時切り離してくれるだけでなく、それらをコンテンツは一切責めない。
もはや私は与えられた情報の中に潜り込むことで、社会との関わりを断絶している。
人と繋がることが恐ろしくなり、TwitterもLINEもすべてシャットダウンし逃げ込んだ。
ここでは私の人間性など無関係に、ただ作品で私を楽しませてくれる。私はコンテンツを消費することで、はじめて受け入れられているような錯覚を覚える。
当たり前だが、コンテンツは私には無関心だ。
それは私が作品にどんな解釈や感想を抱こうが、おかまいなしなのだ。
それが心地いい。
私は相手の求める自分でいなくてもいいのだ。ただの「私」でいられるのだ。
そして対人関係をシャットダウンした今、私は誰かと比較せずにいられる。
誰かの感情に左右されることもない。誰かの行動や思考に対し、自分は劣っていると感じずに済む。なんて自由なんだと思い始めている。
そもそもSNSなどで反応がなくなると、私は自分の存在は他者から見えていないのではと感じてしまう。
この世に存在していない人間。
ならばこちらから存在を消すことで、誰の目にも止まらないという疎外感を感じずに済むのだ。
今日、「人間関係リセット症候群」というネットスラングを知った。
私のように、他人との関係を遮断したくなる、SNSやLINEをすべて放棄してしまう人間が私以外にも少なくはないということを知った。
インターネット上のみで計り知る人間性で繋がる軽薄な関係に疲れた人。自分のキャラを作ることに疲れ、一切をリセットし、新たな関係性を作ろうと生まれ変わろうとする人。
理由は様々だが、それは私からすると正しい判断のように思える。
消えたくなったら消えていい。
それは自分を守るために大切な手段だと思う。ストレスになるものを排除してみる。この判断を自分にくだせることは、長い人生における休憩のようなものだと、私は思っている。
そして以前Twitterのアカウントを消した際、かかりつけの心療内科の医師に言われたのが、擬似自殺。
自分の存在をネット上から消す。
まさにそうだと膝を打った。
実際に自殺をしてしまう前の予防だと思う。
ただ、繰り返すことで周りに迷惑をかけてしまうとも書かれていたが、今は他人のことを考えなくてもいい。それどころじゃない。自分の心を守ることを最優先にするべきだと思う。
消えた私の存在価値。
誰にも気にとめられなくても、そういう人間なんだと孤独と向き合う決心をする。
社会からもインターネットからも弾かれたまさに棄民の私。
でもこの膨大なネットの海の中で、誰かに発信することをやめられない。繋がらなくていい。繋がってのちに拗れるくらいなら、繋がらず、そっと誰かが私の声を聞いてくれているかもしれないという妄想だけで満たされたい。
せめてこの場所だけは、手放したくはないのだ。私の最後の砦なのだから。