対人スキルがとうとう枯渇し、仕事を休むことにした

人と接することには、大きく分けて二種類あると思っている。

友人や気のおけない人との楽しい交流と、必要に迫られて仕方なくしなければならない交流。

後者は社会人として、好き嫌い関係なく逃れられないものがある。たいがいの人は、必要に迫られてしぶしぶ人と接しなければならないことには、億劫になるし、その後の精神的疲労もセットでついてくる。

 

これはADHDの特性のうちに入るのか、私個人の特性なのかはわからないが、私はどちらの交流でも、対人スキルが削られる。

どんなに楽しかったと思える、友達との交流でも、それなりのエネルギーを使っているようだ。

その時には全くそんなことを感じもしないし、帰宅してからも充実感が残る。

しかし私の場合、消費した対人スキルは消費されてからある一定の目盛まで減ってからではないと、警告アラームが作動してくれないのだ。

そして、警告アラーム鳴った頃には、ほとんど手遅れに近い状態になっている。iPhoneを使用しているひとならばわかると思うが、電池残量が20%になると知らせてくれる。動画を見ていようが、ソシャゲをしていようが、必ず残量が20%になると画面に通知が現れる。

いや、それ今じゃなくてもよくね?コンボ切れちゃったじゃん。・・と、正直あの通知にはイライラしたこともある。

だが、ほとんどのソシャゲは、開いている間、電池残量が表示されない。気づかないうちに電池が切れてしまうことへの、事前通達なのだ。

 

私の身体にも、とうとう対人スキルの残量が残りわずかだと警告が通達された。

もちろん、目の前に文字が浮かび上がったり、そういった通知ではない。

LINEが返せなくなったのだ。

もともと、LINEの返信は早い方ではなかったのだが、能動的にLINEを開こうとすることができなくなった。

ここ一週間前からそんな状態が続いていたが、最初はそれでも一日に2,3回はまとめて返信をしていた。

TwitterもLINEも、通知がくることを煩わしく思っていたのでポップアップ通知の設定はオフにしていた。しかしそれでもLINEだけは仕事の連絡でも使うので、アイコンパッチだけはオンにしていたのだが、数字がどんどん増えていくことに恐怖すら覚えるようになってしまったのだ。

LINEのやりとりは主に親しい友人なのだが、その人たちへの返信すらできない。相手の発言に対してどう返信するかを考えることができない。そこに使うべき脳みその容量がもう残っていないのだ。

 

こうして自分の頭の中をアウトプットすることはできる。

ADHD特有の脳内が多動なため、言葉は無意識下で、且つ無尽蔵に湧いてくる。むしろこうして書き出さなければ、オーバーヒートを起こしてしまうほどに。

 

役割を求められていると感じている。

「私の発言に対して、あなたの意見はどうですか」と。

内容を咀嚼し、自分なりの解答を迫られている強迫観念に近いもの感じるようになってしまった。どんなに親しい間柄の人に対しても。

自分の考えを書き散らすことは私にとっては簡単なのだ。そこに配慮を要しないから。

だが相手への返信というものには、内容に関わらず、配慮を挟まねばならない。一方的に何も考えずに返信をするというのは、会話のやりとりではない。

送られてくるとりとめのないLINEにさえ、それに対して最適な意見を捻り出すという行為すらできないのだ。

 

友人とのLINEならもっも気楽に構えればいいと思うだろうが、そらすらもできないのだ。

ここまできて、これはいよいよまずいと思い、有給届けと心療内科からの診断書を叩きつけ11日間の休暇を得た。

接客業なので、特に人に対しての対応どころから、知らない人に対して恐怖さえ抱くようになってしまったのだ。

 

そうして、社会から離脱して今2日目。

めーっちゃくちゃ快適!

もう二度と社会には戻りたくねぇ!私は真性の社会不適合者だと思い知らされた。

社会からの役割を求められない。生産性のないただの人間のクズ。なんて居心地が良いのだ。

ひたすらソシャゲをやり、アニメを見る。現実を遮断し、纏っていた鎧のように重い社会性を脱ぎ捨てた私は、身軽さを実感している。

さて、このままあと9日こうした生活を続けていって、職場に元気よく復帰できるのだろうか。あと9日で、社会が恋しくなることはあるのだろうか。