オ〇カード、死す

私のデッキでもっとも利用頻度の高いカードが効果をすべて失った。

つまり失効したのだ。それも2枚。

1枚は年に一度の手数料はかかるものの、ポイントが2倍になるとほいほい申し込んだプレミアムカード。金色に光るそのカードを手にするには、どう考えても私の収入から考えれば分不相応なのだが、カード会社は申し込みの案内を送ってきた。なぜだ。

カード会社の事情は知らないが、とにかく発行数と手数料を上げることが会社のためだったのだろう。おそらくは。

そうでなければ月収12万円の人間に金色のプレミアムカードなんて持たせるはずはない。しっかりしてくれ。私は月収12万円の女だぞ。

 

しかし数年は支払いが滞ることなく、利用した分は毎月しっかり支払っていた。

なぜならばカードローンで金を借りていたからだ。

銀行とオ〇コから借りて返済する。自転車操業に見えて回ってはいない。かさむ借金。狭まる限度額。そしてとうとう限界がきた。

2ヶ月の支払いが滞ったところで、東京の市外局番からの着信があった。

私は小狡い人間なので、オ〇コのフリーダイヤルからの着信には、営業時間外になってからかけ直し、シカトするつもりはないことをアピールしていた。

電話に出られないのは平日仕事で、そちらの営業時間内にはかけ直すことができない。決して踏み倒すつもりはないのだと。応対する気持ちはあると。

だが時間内にかけ直すチャンスはあったのだ。それも平日に一日だけ休みはあるので、その日にかかってきた電話に出ることも可能だった。しかしオペレーターのお姉さんと話したところで払える金が湧いてくるわけではない。話すだけ無駄だ。金ができたら送られてきた払込用紙で支払ってるじゃないか。

そうして私は見知らぬ東京からの市外局番の電話に、いつものように18時にかけなおした。どうせまた音声案内だとたかを括って。

 

しかし受話口から聞こえてきたのは肉声だった。女性の声。オペレーターのお姉さんだった。

もう私はこの「お電話ありがとうございます」の第一声で腹を括った。

ずっと会話を避け続けてきたオ○コのお姉さんと決着をつけねばならないと思った。

払込票に印字された金額が手に入ったら、コンビニで支払う。もうその手は通用しない段階まできていたのだ。なぜならこの時点で私は一枚のカードの支払いを二ヶ月分を滞納していた。

なぜ今までのルーティーンで支払えなかったかは、給付金に浮かれて買ったエアコンの代金、18万円の手数料をケチり、二回払いにしてしまったからだ。一度の請求の総額は光熱費やネット回線代なども含めて10万円は超えていた。

そんなまとまった金額、そうそう手元に降ってくるはずもない。こうしてオ○コのお姉さんは痺れを切らし、営業終了時間である17:30を過ぎても繋がる番号から攻撃を仕掛けてきた。

いや滞納されている時点でダメージをくらっているのはカード会社の方なので、反撃に出た、と言う方が正しいだろう。

そんな言葉遊びはどうでもよくて、オ○コのお姉さんの反撃は、クレカの滞納分とカードローンの残高をまとめて、金利6%で分割しないか?という提案だった。

もちろん審査はあるが、翌日メールで送られてきた申し込み書に毎月いくらなら支払えるかを自分で記入し、申し込む。

これはおそらく「おめーがこれなら払えるって額をてめぇで提示したんだからな??」ということだろう。恩赦のようであり、自分で決断したという責任を強く意識させるための儀式にも思えた。

いやまあ、金を借りたのも使ったのも自分の意思ではあるが、そこからさらに「金を借りている」という意識を認識させるためもあるし、カード会社だって慈善事業ではないので、なんとしても金を回収したい。

つまりこれは、行き詰まった双方が交わした最後の契約だ。

もしこれを私が破棄した時、つまりは自分で設定した毎月の支払額すら払えなくなった場合は、その先もまたあるわけだ。なのでこれが最後だとは言えないが、オ○コのお姉さんとの最後の契約にしたい。この支払いすら滞ってしまったら、ついぞ父親に連絡がいくことになっている。それは今の状況よりもめんどうだ。

 

そうしてオ○コとの最後の(と思いたい)契を交わし、二枚のカードから一瞬にして命が消えた。

「お手元のカードはお客様自身でハサミを入れて破棄してください」

できない。

これまで苦楽を共にしてきたオ○コカードたち、たとえそれがただの長方形のプラスチックに成り下がってしまったとしても、私には彼ら(彼女ら)にハサミを入れ、真っ二つにすることなんてできない。

・・・と思いつつもこのブログにハサミを入れたカードの写真でもあげとくか、なんてエンタメ性を意識しながらカードを探したが、ない。

おそらくカード失効と二度とオ○コでは契約ができないショックのあまり、即座にハサミを入れて捨てたのだ。その記憶すらない。

たしかに持ってても息を吹き返すことのないカードを手元に置いておく意味はない。だがあまりにもあっさりすぎないか過去の私。クレカが失効したなんて人生でなかなか経験できないイベントを、もうちょっと味わう気はなかったのか。断髪式ならぬ断裁式を行ってみようとか思わなかったのか。

できればこのブログを書いているまさに今、ハサミを入れて、ビフォーアフターの写真をアップするとか。

そういった余興を楽しむ余裕もなかった二週間前の私。いつのまにか財布からゴミ箱に失墜したカード。

これから始まる長い返済期間。空は秋晴れだ。嘘のように青い。私がいくら部屋で放心していようが、時間は無遠慮に流れていくし、借りた金は返しきるまで毎月私の口座をノックする。

 

そんな時、以前からフォローしていたアカウントの動画を思い出した。


【賭博狂の詩】第一話 借金総額【借金残高¥5,356,896】

 

現在、第十六話まで公開されているが、投稿ごとに借金の総額が減っているのがタイトルで明確になっている。

こうして数字で可視化されていると「あ、借金って減るんだ」と気づかされたのだ。

まじめに返済を続けていれば至極まっとうな話なのだが、今の私の数年かけてゼロになる途方もなく思えた返済額が徐々に減っていくことが想像できた。つまりは減るのだ。借金は減る。

じゃあ減らすための算段をしようじゃないか。

私の中で戦略会議が開かれた。

敵は借りた金と利子。それを少しずつ減らしていくための生活費の見直し。

元々ギャンブルや買い物依存でできた借金ではなく、「ふつうの生活」を送るために嵩んだ借金だ。給料に見合った極貧生活を送っていればこうはならなかったのだろうが、私だって美容院には年に三回は行きたいし、友達とごはんを食べたり、子供と外食にいったりもしたい。ちなみにシングルマザーなのだ。

もちろん国からの福祉は受けている。だがそれでは一般的な子供を持つ家庭の収入には到底届かない。もし私が高収入であれば、手当は受けられない。たしか満額もらえるのは世帯の月収が八万円程度だと聞いたことがある。その満額も今だと月に四万五千円だったと思う。なので私は満額受給者ではない。

そして手当の額は世帯年収によって決まるため、親と同居していればほぼもらえないだろう。親が年金受給者ですでに定年退職してたらどうかしらんが、そのへんはたぶんこんなブログよりもっと他のものを頼ってくれ。

 

話を戻すが、このギャンブルで借金500万円を作った「犬さん」の動画やTwitterによって、私は親しい友人にすら話せていない借金あるあるに共感することができている。

借金を減らそうとしている人が私以外にもいることは想像できるが、想像と実際にその額が減っていく様を見る機会はそうそうないだろう。

それによって私も生活の立て直しに奮い立った。

いや、そもそももっと早くにそうしていればカードを失効することにもならなかったんだろうが、それをとやかくいったところで借金は減らない。

 

私は人生は空港などにある、歩く歩道だと思っている。

私が立ち止まろうと、人生が嫌になって暴れようと、歩道は進んでいく。この歩道は時間であり世の中だ。

私が放心しようが嘆こうが、時間は進んでいく。だったらそれに歩調を合わせるしかない。やれることをやるしかもう道はない。足掻くしか選択肢がないなら、ない頭を振り絞るしかない。

私は勝手に「犬さん」に手を引かれたような気になった。本人とはまったく面識もなく向こうも私を認知しているわけではないので、ただうしろを追っているストーキングに近い行為かもしれないが、この方の借金がゼロになるまで見届けたいと思った。

そのためには私も数メートルうしろを歩いていくしかない。

 

いつかここに完済報告ができる日がくればいいなと思う。