診断書と有給届を会社に叩きつけて11日休んでみた

先月半ばから、心身の状態が限界にきて有給休暇を申請した。

一週間以上の有給申請には、医師からの診断書が必要なので、心療内科で診断書を制作してもらった。4000円もかかった。制作には5分とかからなかったのに。

ちなみにこういった会社に提出する診断書にかかった金額は、返還されないらしい。

4000円で私は会社に欝だと告白し、11日間仕事を休んだ。

たんまり残っていた有給休暇を使ったので、私が家でごろごろしてるにも関わらず、給料は発生している。最高だ。

 

二つ、友人との予定がはいっていたので、それ以外は家で過ごした。

洗濯や軽い掃除という、最低限の家事をし、日がなアニメを見てソシャゲに勤しむ生活を満喫した。最高だった。

 

休暇三日目で、なぜか唐突な人格の崩壊に見舞われた以外は、平穏に過ごせていたと思う。

LINEの返信も極力しないようにした。

人との接触をなるべく避けた。

私はたぶん人の感情に充てられやすく、それでいて、楽しかろうが楽しくなかろうが、コミュニケーションにかなりの体力を使うらしい。

 

ADHDの特性である、脳内多動の状況。普段から頭の中に、意識とは無関係に様々な思考が湧きでてくる。

脳を休めるということが意識的にできない私には、他人をとコミュニケーションに使用できる脳のエネルギーが残されていない。

どんなに楽しくても、疲労が発生する。

楽しいという充足感とは全く別に、脳は疲労しているのかもしれない。いわゆる別腹というやつかもしれない。それとこれとは別だ、というような。

 

常に何かしら忙しく回転し(その割に考えていることに生産性はない)何かをしていなければ落ち着かない性分なのか特性に、私は外側から受ける刺激に耐えられなくなった。

これまでなんとか社会の一員の振りをしてきた。普通の人が例えば10%のエネルギーで社会に溶け込めるのに対し、私は120%の自分が持つ力量以上の力を無理やり捻出し、社会人の振りをしてきた。

加齢による体力の低下から、とうとう限界がきた。

 

結局11日も休んで得た答えは、働きながら日常生活を送ることなど無理!

だった。

結果的に欝(本来は躁鬱)が治ったわけでもなく、つきものが取れたような顔で仕事に復帰することはできなかった。

何も解決はしていないが、無理をして生活することは自滅する、ということに気が付けたのはよかったと思う。それくらいは得られたのではいかと・・・思いたい。

 

LINEの返信、苦手な家事。様々な「今これやるのはしんどい」を、「ならやらなければいい」と、自分を赦すことができるようになった。

そうやって自分には今何が必要なのか、そのために何を削るべきかの、取捨選択の基準ができたと思う。

そして三日目に突如襲った「人格の崩壊」。自分が何者でもないことや、他人から見えている「私」という人間に可能な限り寄せるようにしてきた行為。これに対しても、徐々にその差異を縮めていくようにしようと考えた。人格を、接する他人の分だけ作り上げてきてしまったのは、自分がこの人にはこう思われていたいという現れだったのかもしれない。

たくさん作ってしまった人格がひとり歩きし、統合できなくなってしまった。だからひとつの人格に絞るために、他人との接触をさけるようにしていたのかと、今思う。

 

この先また限界がおとずれて長期的に仕事を休むこともあるだろう。

そうやって度々、社会から隔絶しなければ生きてはいけない。

ああ、ほんとうに私は社会不適合者と言うにふさわしい人間だ。