私たちが何をした

もう今更こんなグチグチいってもしょうがないことなのだが。

でもやっぱりどこか腑に落ちない。納得ができない。むしろこの不公平を納得させる、説得力のある言葉がほしい。

 

世の中を生きていく上で不便なことが多すぎるのがADHD

なんせ普通の人がサクッとできてしまうことが、過集中モードに入っているか、満身創痍になりながら模索することでやっと得られる。得られるならまだマシな方だ。爪の先がどうにかかかったぐらいの事の方が多い気がする。

程度は人それぞれだが、少なからずなんらかのハンデを背負っているし、発達障害という立派な障害名までつけられている。

なのにだ。数年前からTwitterで批判的な意見が目につき、とうとう昨年あたりから、天下のえぬえっちけーが、対抗するかのような番組を放送時間にぶつけてきた。そう、24時間テレビ

障害というハンデのある人間がそれを乗り越え、健常者に感動を与える。私からすれば、すごーく言い方が悪いのは百も承知で言わせてもらうが、見世物小屋

いや、自分で困難に挑戦したいと思う気持ちはとても素晴らしいことだと思う。ただごく一部、ほんとうに断片的なものをお茶の間に流して、障害者でも努力をすれば健常者と方を並べられると植え付ける。

肩など並べてなどいない。並べられるはずなんてない。だってあの番組に出ている障害者は、プロのサポーターの助けを借りて、今まで見ることのできなかった景色を、達成感を得ている。

それは決して悪いことではない。当たり前だ。障害者には多かれ少なかれ、何らかのサポートは必要だ。

ただ、正直羨ましい。

目に見える障害は、他人からの助けを得られやすい。

そして何より私が長年疑問に思っていたことは、あの番組に出てくる障害者の家はほぼ全て金持ちだということ。

あのぐらいの障害なら、特別扶養手当など、それなりの額は振り込まれているだろう。しかしそれだけで、特製の車椅子や補助器具、家の中をバリアフリーに改築などの費用は賄えるのだろうか。

だいたいにして、母親は常に障害者の子供に付き添っているため、ほとんどが専業主婦であり、立派な戸建てに住んでいる。

そう、金に余裕のある障害児しか放映されないのだ。

もうここまでくると完全に私の僻みである。

逆に考えてみてほしい。母子家庭で重度の障害を持つ子供を抱え、母親は仕事に出ることもできない家庭だったとしよう。児童扶養手当は、世帯の月収が約8万円で毎月、全額の4万円ちょっとがもらえる。それも4ヶ月に1回の振込。

この母子が、母親の実家に頼れず二人暮しをしていたらどうだろう。母親の収入は0円、児童扶養手当は約4万円、特別児童扶養手当もおそらく、月4万円程度。そこに障害者手帳を持っていればまたなんらかの給付金は得られるのかもしれないが、私は手帳を持っていないのでそこに関してはわからない。

この家の世帯収入は月に約8万円。生活保護が必要になる。

そういった生活苦だけではなく、子供の障害に対しての不安でひっ迫した状況の家庭はなぜ放映されないのか。しかるべき出演料を払うと言えば、応じる親子はいるのではなかろうか。むしろそっちの方がより、生々しく、お涙頂戴番組としては成り立つのでは。そして募金額も今までより確実に増える。番組の趣旨としては、こっちの方がいいのではないか。

 

なぜ私がここまであの番組を嫌悪するかと言えば、しらけるからだ。

あれが健常者の涙腺を緩ませるのなら、毎日社会に擬態した私のような発達障害者は、常に困難な状況に立ち向かっている。

できないは、怠慢。努力が足りない。

ならあなた方は、足が片方無い人に早く走ることができないのは、努力が足りないからだと言い放てるんですね?

 

 

こんな後ろ向きなことをつらつらと書いていたって現状は何もかわらない。私も社会も変わらない。社会に訴え何かを変えられるような発言力を持つ地位もない。

こうしてくだを巻く事でしか消化できない。ADHDライフハック本を読んだり、ネットで得たうまいやり方を試してもみた。成果がみられたものも、全く効果がないものもあった。私たちADHDは根っこの部分は同じでも、その特性の強弱には幅があり、更に私のように二次障害を併発していたりするとまたタイプが変わってくる。

「普通の人間」に近づくための努力は、いつしか理不尽と感じるようになり、しなくても良い苦労を強いられ、だからといってほぼ援助も受けられず、私たちは見えない障害者として理解も援助も受けられず、ただひたすら人間の振りをして生きていくしかないことを強いられた。

生まれた時から、それはもう長い間。

それでもなんとか試行錯誤していた時期もあった。

だが某野球漫画の矯正ギプスをつけて生きているような人生だ。正直もうしんどい。もっと楽に生きてみたい。

 

今流行りの言葉をちょっぴり引用させてもらえば、私は24時間テレビを私的搾取し怒りを昇華しようとしている。

あの番組を批判し、怒りをぶつけることで、世の中の発達障害者の代表を気取って、見た目にわからない障害者へ愛の募金が行き渡らないのはおかしくね?障害者を平等に扱い、愛は地球を救うなどのたまっているのなら、私のことも慈しみの心で救ってくれよ。と、絡んでいるタチの悪い酔っ払いと同等である。

 

たぶんこの先も、発達障害者への理解は難しいだろう。なんせ見えないのだから。可視化できないものを想像する余裕はこれからもっと少なくなるだろうと思っている。

せめて言い訳として「脳みその作りが普通の人とは違うんです」と言ってみようか。

健常者でも障害者としても扱われない、グレーな立ち位置。ぼやけた色。曖昧な人間の振る舞い方を教えてもらいたい。